Vol:6教育を科学すること

複数のお子様がおられる保護者様は、なぜ同じ子供でありながら、これほど違うのかと言うことに一度は必ず驚かれたことがあるかと思います。お子様の教育に関われば更にその違いがいかに大きいのか、と言うことにも驚かれます。

子どもの違い(余談ではありますが、三人以上のお子様をお持ちの保護者様は、「人は自分の子供であっても一人一人違うのだ」と言うことが、強く認識されている傾向がありますが、二人のお子様の場合、良し悪しで判断をしてしまいがちになります。)

ここで、お話したいことは、個別性に基づく対応の変化のお話です。同じことを一人の子供に行った場合、一人は伸びて、一人は伸びない、こう言うことがご家庭には非常に多いのです。家庭教師として駆け出しの頃は、対応の幅が狭く、どう対応することが本人の為になるのかが分かりませんでしたが、数百のお子様と1:1で二人三脚で歩んできたことで、一定類型化することができるようになりました。

数百から類型化どんなお子様が、どんな状態の時に、どんな気持ちでどんな対応をするのか、それがわかっていなければ「個別対応」と言うことも、綺麗事でしかありません。なぜなら、どう対応すべきかの回答を持っていなければ、結局伸ばすことは出来ないからです。子供への声かけ・愛情が大切という一般論は分かりますが、愛情と共にどのタイミングで何を伝えるべきか、声かけするべきか、まで本来はあって然るべきなのだとも思います。

女の子ひとりひとり

教師というものが、医師と違って明確な科学がまだ世界になく、名乗れば誰でも教育者として存在出来てしまうということは、保護者様やお子様からすれば、「どこが」「誰が」一体全体自分の子供にあっているのかがわからない状態に置かれてしまう、ということでもあります。

途方に暮れる女の子勿論、教員免許という資格はありますが、免許を持っている人間の指導レベルが高い訳では当然ながらありません。つまり、まだ世の中に明確に根付いた教育科学は少なくとも教育の現場には存在していない、のです。

それでも、教育は科学を進めなくてはいけないと思うのです。誤った対応をしたばっかりに子供の可能性が閉ざされる、拓かれないということは、さながら伝染病の治療法を社会が生み出せず、「仕方がない」「子供の才能が不足している」という、保護者様側の泣き寝入りを産み続けることになるからです。

親子ともに悲しみ私たち、コベツバはまだまだ小さく未熟な組織ではありますが、可能な限りうまく行ったこと上手くいかなかったことを検証して、可能な限り誰もを発達させられるような理論を、子供への愛情と共に提供して行きたいと考えております。とてもチャレンジングな挑戦にはなりますが、過酷な中学入試に対して小さな体で勇敢に挑む子供たちに負けないように、私たちもチャレンジし続けていくつもりです。

親子ともに歩んでいく